絵手紙を書いて送る人は、人に思いやりや親切を与えています。
大切な時間と、集中力で書き上げた作品を「与えること」は
命の時間を与えるのと同じです。
相手のことを「真剣に考えて、友人をいたわる言葉を書きます」。
思いやりというのは、そのように、「相手を理解する能力」です。
相手の身になって考えて書きますから、言葉が自然に出てきます。
競争心のある社会で生きてきたので、ライバル意識が抜けない時には。
相手の身になるのは、いつも簡単にできる訳ではありません。
絵の上手な人を羨んだり、身につけているものや持っているもの、
さらには相手の能力の高さにさえ「嫉妬心」を持ちやすいものです。
書いた絵手紙を純粋に、他の人に見てほしいという健全な願いで「ブログで公開」している人が殆どです。
ところが、「絵手紙のランキング」とか、「絵手紙のコンクール」となると、
平静でいられなくなり、闘争心に火がついてしまうことがあるかも知れません。
少なくても、私にもそういう時がありました。
普段は静かでも、何かの刺激が加わると、眠っていたものが出てしまうのです。
まず、そういう「燃え安い素材、その気持ちをゼロにしましょう」。
そして、次が、相手に対する「思いやり」です。
表面だけの思いやりは簡単。心の奥まで固い思いやりを強化するには。
表面だけの思いやりと、心の奥までの思いやり、の区別はつきにくいものです。
刺激を加えて試してみてようやく分かる場合もあります。
人生経験の豊かな洞察力、分別力のある人、絵手紙からも人間性を見抜く力がある人は
違いが分かると思います。
時間が経って分かることもあります。そのことを絵手紙で表現。
その人は、高齢者でも、大きく変化し、大きく成長することができます。
もちろん、若い方はそのスピードが速いものです。
現在のその人の、ほんの一部分しか見ないので、相手に「敬意」を払えないのです。
大きな時間の流れで人を見て、相手に敬意と思いやりを示そう。
とかく、責任のある立場、人に教える立場、指導する立場の方は、何度も
自問して「他の人の絵手紙を評価」しなければなりません。
大きな巻紙に大きな絵手紙を書く人は、「展示会用」には良いようです。
小さな名刺判に書いた絵手紙と、どちらをどう評価しますか?
どうも、大きくて大胆な書き方が「高く評価」されやすようです。
はたして、どちらが思いやりのある作品でしょうか?
次の画像は「コーヒーのフィルター」に模様をつけました。
コーヒーフィルターは、子供でも大人が絵手紙を書くにもいいようです。
絵手紙を書いたり、書く工夫をしたりする人の作品を見て、
私なら、もっと簡単に書けるという思いがあるでしょうか?
どんな、小さな工夫、どんな努力にも、「良い評価をして」下さい。
そうすれば、自分もそう見られるでしょう。
このブログは、いつか「にほんブログ村」のランキングから消えます。
絵手紙の書き方の情報を整理することが「目的です」。
自分用の「教材メモ」として使う予定です。
ランキングというのが、嫌なもので、最近始めたばかりなのに
上位にランクされて、困って、まごついて、この記事を書きました。
他の人に早く道を譲りたいのですが、書きたい記事数はまだ半分以上あります。
少し、我慢して見守ってください。
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