絵手紙のキャッチフレーズは「ヘタでいい、ヘタがいい」です。
そのキャッチフレーズにはこうあります。
心をこめて一生懸命に書いたものは、相手の心を打ちます。
上手に書こうと思わないで、その人らしさが出ればいいのです。
ここで、注意したい言葉は「ヘタ」とあり、「下手」ではないということです。
そのことを解説します。
日本絵手紙協会の公認講師の受講者で、絵手紙教室での指導暦12年の筆者です。
「下手でいい」というのは誤解です
「ヘタでいい」としたのには意味があります。
「下手でいい」としたなら、いいかげんでいい、手抜きでいい、という意味が含まれます。
そうであっては、なりません。
では、「ヘタ」にはどんな意味があるのでしょうか?
心をこめて一生懸命に書いたもの。それがヘタの意味です。
書いた絵手紙の絵の上手下手ではありません。
心構えや、考え方、精神的な原則のことです。
それが、絵手紙に表れてくるという考え方です。
まだ、それだけでは納得しにくいかもしれません。
一所懸命さはどのように表われるのでしょうか?
個人的な意見ですが、「一所懸命さ」は、分かりにくいものです。決まっていません。
こどもが、何かを一所懸命にやっている場面を考えてみましょう。
辞典では「命をかけて物事に当たるさま。本気で物事に打ち込むさま。▽「懸命」は命がけでの意。転じて、真剣に物事に当たるさま。」となっています。
「例文」
- 1)母は、私達が寝ている間も働き、一生懸命私達を養ってくれました。
- 2)一生懸命に練習している子供を日々見ていたので、本番当日は思わず涙がこぼれてしまいました。
- 3)一生懸命物事に取り組めば、例え上手くいかないくても必ず自分の為になります。
- 4)どんなに一生懸命働いてもアニメにお金を使ってしまうで、いつでも貧乏だった。
「私の意見」何かに集中しているということで、書く前に素材をよく観察する、相手のことを考える、書く時に集中する、言葉を考える、などに表われることが多いです。もちろん、人と比べてみたものではないので、一所懸命さは「継続する」「何かの犠牲、時間や労力などの犠牲を払う」ことに表われます。その結果、成長し進歩します。
「ヘタがいい」とはどんなことでしょうか?
多くの方は「上手な絵」を「写実的な絵」「マンガやアニメのような絵」を上手な絵と思っています。
上手は時代や国、文化、などによって違いますが、「他の人や画像を見てはぐくまれます」。
つまり、本能的な要素よりは、後天的に「学んで身につけたもの」です。
学び方や量が違えば「上手の意識」も違ってきます。
それでも「ヘタがいい」とは、どういうことですか?
この心構えは、書き手に対するものです。
むしろ、「ヘタの方が」ずーっと優れているという意味です。
どういうことでしょうか?
殆どの方は絵手紙を書くのが楽しくて書いています。
それでいいのです。
よく、比べられるのは「子供の絵」です。
子供は、褒められたり認められたいと思って「父さんやお母さんの絵」をかいていますか?
バランスや色や形のことよりも、「一生懸命に書いて」います。
その、ノビノビとした、素直な表現のことを「ヘタがいい」と表しています。
「ヘタがいい」の反対は「上手に見える」です。
それは、他人の目を意識した絵です。自分のプライドを意識して、気持ちを全部出していません。
自分の気持ち、感情、思い、心の中にあるもの全部出すのが「ヘタがいい」の意味ではないでしょうか?
こどもは、「どうですか?」全部、素直に出していますか?
それが、ヘタがいいではないでしょうか?
大人は、邪心が起きやすい。子供の心で書きましょう。
大人は、他の人から受け取る絵手紙についてはどんな心境で受け取っていますか?
これが、とても大切なんです。
絵を見て、上手とか、絵手紙らしいとか、本音が出る。
また、自分と比べたりもする。
ヘタでいい、と教えられても、内心は上手がもっといいと、、。
自分とは違う絵手紙に対して、どのように評価し考えていますか?
私の絵手紙に対する「ヘタでいい」の見方は。
絵手紙に向かうの心構えとして大切な要素があります。
それは、「受け取る人のことを思いやる」ということです。
もちろん、受け取る方も下手(いい加減の意味)でないのが良いに決まっています。
常識的な道理として、相手に良いものを送るのが当然で自然な行為です。
失敗したもの、出来の悪い物を送るのは失礼なことです。
ところが、「自分が良ければ、相手もいいだろう」
「自分が気に入ったのだから」と絵手紙を相手に送る人がいます。
ここで大切なのが相手に対する「思いやり」です。
人として、相手に敬意をもって見ているか。
自分の心に、嫌な邪心はないか、本当に相手の心を第一に考えたか自問します。
どこが、いけないのかと言うと「練習をしないで、ぶっつけ本番の作品は下手な失敗作が多いから」です。
皆さんも贈り物をいただくなら、粗悪品では「心象を悪くするのではないでしょうか?
もう一つ、付け加えたいことがあります。
相手に対する信頼です。
批判的なものの見方をする人、表現がきつい人には「出したくない」と思う?
そうなんです。相手が、善意で受け取ってくれるという信頼も大切です。
自分の心構えとして、「どうだ、上手でしょう」という「高慢な気持ち」があってはなりません。
私の絵手紙は人間性を学ぶため、磨くために書いただろうか?
相手から謙遜さや誠実さ、親切、思いやりを学ぶ姿勢があるだろうか?
などと考えながら書くのが、大人の絵手紙の「ヘタでいい」だと思っています。
大崎ウエストギャラリーが出している「ギャラリー通信」58号に
「ヘタがいいを考える」という記事がありました。
絵手紙は他の芸術よりも、数段低く見られていると。
その背後に、ヘタでいいに甘んじているのではないのかという。
絵手紙は何を目標にしてきたかといえば、「自由に、集中して、自分らしく」
というものだという。他の芸術からもプロから学んでいない。絵のことに偏り過ぎていて、人間性の研究不足です。
言葉に高い価値を見いだしていない。これでは進歩がないかもしれません。
若い人にも興味を持ってもらう絵手紙は言葉の方に重点が置かれる作品だと思う。
絵手紙創始者の小池氏は「絵はオマケだ」と言っておられます。
次世代の絵手紙はどうあるべきか考えながら、研鑽していきましょう。
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