絵手紙を書く人、教える人、学んでいる人、楽しんでいる人、実に様々です。
それは、世界中の人を友好的にする力になり、幸せにする力にもなります。
絵手紙人の言葉は人の人生を左右したり、劇薬のような働きをすることもある。
絵手紙を書く人は、下手、ヘタと言われる感情と戦っている。
絵手紙を書こうとするときまで、既に沢山の壁を乗り越えてきた。
ヘタでもいいという言葉に励まされてきた人も多い。私もその一人です。
絵がどうのこうのではなく、「人としての自尊心」をしっかり持ちたいと思って書いた。
「無価値、ダメという意味の言葉」と戦ってきたのかもしれない。
下手だと思っても多くの人は口には出さない。
目で語ったり、態度で語る場合が多い。それだけで、伝わるものです。
絵手紙を書く人が、「人の心を傷つけることを言うことがあるか」と言われれば、残念ながら「あると思う」。
だから、絵手紙から離れた生活の中でも油断せず、慢心を起こさず、謙遜でありたい。
私の友人が傷つけられた言葉は「その作品は絵手紙ではない」と言う言葉でした。
絵手紙ではないと言われた方と数年前に文通していました。
絵手紙を書いている数人の女性たちから言われたという。
その方が、「猫の絵手紙展」と看板を出して展示会をやったから、来られたそうです。
確かに「絵手紙らしくはないかも」しれませんが、「なぜ、言われたのか分からないので聞きたい」ということでした。
そのように、いわれた方は、デザイン学校の講師や客員教授です。しかも、沢山の受賞されているプロのデザイナーです。その受賞の数たるや多過ぎるほど。
国内外の書籍に650点以上もの作品が印刷され紹介されているのです。驚きでした。
あえて、その方の名前を言いましょう。
「藤重 日生」という方です。もちろん、ネットで検索すればすぐに経歴も分かります。猫絵の画家とも言われています。
私も、影響を受けて、真似して書いた作品が少しあります。
何を「絵手紙」といい、何を「絵手紙でない」というのでしょうか?
批判した人は、少なくても「絵手紙を書く心得、精神」が分かっていないと思いました。
自分の好みのものではないからといって「勝手に評価する」のは止めましょう。
この点、女性たちは周りの空気に合わせて、軽く言ってしまう傾向があるので気をつけましょう。
質問します。次の絵を絵手紙と思いますか?言葉は無しです。
言葉の入らない「パンダの絵」です。それを封筒に入れて、もう一枚にはメッセージを書いて送ります。つまり、言葉つきです。
この場合、受け取った方は、絵のほうが気に入り額に入れて飾りました。
先ほどのデザイナーの場合は、こういうやり方で、自分の作品は「絵手紙」と理解していました。
話が変わりますが、戦争の時、戦地から絵の好きな人が、絵を書いて故郷に手紙を送りました。
ハガキに絵と言葉が入っていれば「絵手紙だ」と思うものですが、別々に書いたものが一緒に入れられています。それも絵手紙作品集(小池氏監修)に出ていました。
それも、立派な「絵手紙です」。むしろ、言葉では書いてはいけないことがあり、検閲でダメ出しされることでしょう。その危険を承知で出す絵手紙もあるのです。
私の解釈は、絵だけ書いて封筒に入れても確実に「絵手紙」です。
言葉の文面が添えられているなら「言うことなしに絵手紙です」。
藤重氏の作品は、このサイトでは紹介できません。調べて下さい。
藤重氏とは手紙での交流と、一度電話でお話しました。
無欲な方で、動物の写真を送ると殆ど無料で「絵を書いて」手紙を送ってくれていました。
すばらしい人間性と描画の才能です。さすが、教授と言いたくなります。
高齢ですが、まだ元気なようです。
この経験から、沢山のことを学びました。自分も気をつけようと思いました。
さらに、アートや芸術、イラストなどの分野は奥が深く、才能ある方が何十万人も一杯いると感じます。
どうか、その一人一人が、自分で輝き、良い光となっていけますように。
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