絵手紙の絵も言葉も、よそ行きの服装のように、格好つけ、体裁を良くする必要は全くありません。
それは、受け取る人が善意で解釈して喜んでくれるからです。
たまに、「これは私には的外れよ」と言う方がいます。
絵手紙は、人の善良さや思いやりを計る「試験用紙」のような働きをします。
私は「的外れなもの」をいただいて、大いに喜んだ訳とは。
絵手紙のことではありません。
近所の子供たち(小学3年生ごろの女の子二人)から、手作りのブレスレットをいただきました。
当時はたしか60歳をこえたオジさんです。
かわいくて、きれいなビーズ玉をたくさん使って作ったものです。
わたしには、的外れのもので、使う気は全くありませんが、何年たっても捨てられないのです。
それだけ、嬉しかった。
もう一つ、嬉しかったのは、その子供たちから、シロツメクサで編んだブーケをいただいた時です。
シロツメクサというのは、三つ葉で知られるところに咲く白い花のことです。
それが、外出から 帰ったら玄関のドアノブに掛かっていました。
それが、次の絵手紙です。
的外れなもの?なのかどうかではありません。
子供たちが「精一杯、がんばってその草花を集め、それを、せっせと編んで完成させた」ものです。
それを、オジさんなら喜んでくれると信じて、持ってきて、留守だったけど持ち帰らず、ドアノブに掛けて行ってくれました。
子供の、そういうところは素晴らしいなあと感動しました。
今日は「敬老の日」です。
それで、思い出してしまいました。
皆さんも、的外れをもらった経験、おありだと思います。
それは、絵手紙でも同じです。
書くほうに、純真さがあり、素直に一緒に喜びましょうという精神があれば、なにも心配要りません。
自分で下手に見えても、失敗したと思えても、受け取る相手の「心の寛容さ」を信頼しましょう。
その時の自分のことも信頼しましょう。
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