今年は例年以上の猛暑が続いています。
そのため、暑中見舞いとして、絵手紙を送る方も多いようです。
多くの方は何かを誤解しているようです。
理由、その1「見舞い」の意味についての誤解。
病気見舞い、災害被災者に見舞い、火事見舞いなどが一般的です。
見舞いは、健康な人が病気の人や手術をした人を励まします。
どの場合も訪問したり、直接会って、事情を聴いたりしたうえで、喜ばれるる物品も渡します。
多少なりとも「犠牲や負担」がつきものです。
こんな人がいます。(ヤフーの質問箱にのっていました)
暑中見舞いの絵手紙を送ったのに、返事が来ないのはどうして?
絵手紙が着いたら、何かの方法で返信が欲しい、感謝やお礼の言葉も欲しいというのです。
私は普段から、郵便配達の方の苦労を見聞きしています。
その方たちにさえ、下手な絵手紙を届けるという仕事に、大変な労苦をされているのを知って、申し訳なく思っています。
ところで、今年も「良い質の暑中見舞い」も沢山いただいています。
そのほとんどは食べ物です。
スイカを何個も届けてくれたり、海で釣った魚を届けてくれたりしています。
茄子、キュウリ、トマト、モロヘイヤ、ゴーヤなどの野菜は何回も食べきれないほど届けてくれます。
それだけではありません。お菓子はもちろん、箱入りのアイスクリームをいただきました。
そのように、お店で買える品物のほか、自分で作った夏用の料理、おいしいつゆを手作りして素麺や冷やしうどんなどもいただきました。
まだまだいっぱいあるのですが、「暑中見舞い」で届けてくれるものはどれも愛情いっぱいです。
「絵手紙で暑中見舞い」などというのは、私の場合は恥ずかしくて送れません。
どちらかといえば、いただいたものを参考に、似たもの、珍しいものを探して届けることもあります。
見舞いの目的は、「弱っている人を励まし、慰め、元気になってもらうこと、さわやかになってもらうこと」ですよね。
形だけの絵手紙暑中見舞い、涼しい部屋で書いた絵手紙、上から目線の絵手紙、そういう絵手紙にどれほど感謝できますか?
返事が来ないのは、迷惑である印ですね。
このように、「見舞い」そのものを誤解しているのではないでしょうか。
理由その2.自分の絵手紙に対する誤解
さらに、自分の書いた絵手紙に対しても都合よく誤解しているのではないでしょうか?
今日は8月6日、広島に原爆が落とされた日です。
その式典をテレビで見て、「自分だったら、被爆者にどんな見舞いの絵手紙を送れるだろうか?」と自問しました。
直接会って、顔と目を合わせて、見舞いの言葉を伝えたいものです。
私は、絵手紙では、とても励ませるものを書けません。
多くの絵手紙愛好者は、自分の絵手紙に自信をもっておられるようです。
絵手紙を少し書けるというだけで、人間的な魅力や評価が高まるわけではありません。
気を付けたいと思います。
絵手紙を書くほどに、頭を垂れる(謙虚さ)ふるまいをしたいと思います。
絵手紙を書かなくても、人間的にしっかりした人が沢山おられます。
ほとんどの方が、そうした良いものを持ち合わせています。
病気や災難をたくさん経験して、それでも利他的な愛にあふれた方がなんと多いことか。。
あなたの周りにも、人間的な魅力に富んだ人、有名人でなくてもしっかりしている人がたくさんおられるのではないでしょうか?
良い絵手紙を見抜く眼を持つ方たちは、人間を見る眼にもしっかりしたものを持っておられると思います。
その視点を忘れずに、暑い中でもがんばって「人を励ます絵手紙」を書いていきましょう。
暑中見舞いの絵手紙は書かなくてもいい。
病気やそのほかの禍にあっている人は、あなたの周りにもきっといるはずです。
「暑中見舞い」はいらない。しかし、「本当の見舞いの絵手紙」を書きましょう。