1.絵手紙の絵は、殆ど部分的にしか書かないのは、なぜでしょうか?
ただ、むやみに大きく書くため、大きく書くのが絵手紙だからという理解の人が多い。
短歌や俳句もその短いことばで、みごとに「場面を想像させています」。
演歌、流行歌、なども場面を想像させ、雰囲気を共感させています。
絵手紙も、書かれていない部分を「想像させる」から、その絵に違和感はない。
これは、人間の脳の不思議な高度な働きによるらしい。
2.絵手紙でも「訳の分からないもの」「過度な想像力を要するもの」は嫌われる。
歌の分野や絵画の分野でも、世代によって「意味が分からない」ものがある。
同世代にとっても、普通の学力のある人にとっても「分かりにくいもの」がある。
芸術的に価値があっても、一般の人には理解できないものは「特殊な専門家向き」のもの。
絵手紙は、一般庶民、市民の文化です。
これを、誤解している「絵手紙人」もおられます。
難しい書道の文字は、一般の人には「理解できない、分からない」「難しい雰囲気」です。
絵手紙では「分かり易いこと」「過度な専門的想像力を働かせなくてもよいもの」が、ベターですし、いい意味で「ヘタがいい」のです。
今は、ネットで「絵手紙 茄子」「茄子の絵手紙 画像」と打てばたくさんの絵手紙が出てきます。分かり易さを基準にして、見てみることをお勧めします。
3.野菜の茄子の作品例(管理人の作品)で、見てみましょう。
茄子の右側が書かれていません。切られたわけではありません。
それでも、どういう形があるのか分かります。それで、十分です。
絵手紙は「受け取る人の理解力に、頼っています。任せています」。
下の画像は左も下も、書かれていない部分があります。
この場合も、無理なく、全体の形を想像させることができます。
4.茄子の多様な構図を見てみましょう。
小さい茄子はもちろん、全体的な画像を書いた方が「分かり易いでしょう」。
無理に大きく書くと「誤解」されかねません。
5.まとめ
絵手紙の絵を大きく書くと、表現のダイナミックさ力強さ、大胆さが出ます。
一部分が書かれていなくても、人間の想像力は「書かれていない部分を補ってくれます」。
絵手紙は、分かり易さが魅力のひとつ。それを、上手に?乱雑に?または「省略し過ぎてはいけません」。
今回ここでは、あえて、分かりにくい絵手紙を多くは取り上げませんでした。
皆さん、ご自信の目でネットなどで、確かめることをお勧めします。